2021年04月18日

濠川と三栖閘門

***** 濠 川(ほりかわ)と 三 栖 閘 門 (みすこうもん) *****
京阪電車の中書島駅から大阪方面に向かう電車に乗ると南側に(進行方向に向かって左側)三栖閘門の開閉扉が上下するゲートが見える。
1962年にその役割を終え閘門として使われることはないのだが、現在は観光船「十石舟」の中間乗船場となっていて閘門ゲートの操作室が「閘門資料館」として公開されている。
この十石船は春と秋の観光シーズンに運航されていて、とりわけ桜の頃の宇治川派流両岸の桜は伏見の桜の名所になっている。

【 宇 治 川 派 流 の 桜 】

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 伏 見 で あ い 橋 で の 合 流 】
宇治川派流に沿って(京橋あたりから)西に向かって歩けば川の合流地点にたどり着く。
この川岸の両側は桜並木となっていて開花時期には伏見の桜名所のひとつになっていて合流地点にかかる橋が「であい橋」である。
ここで「濠川(ほりかわ)」「高瀬川」「宇治川派流(はりゅう)」の三つの流れが合流し「濠川」となって宇治川に合流してゆく。

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* 濠 川( ほ り か わ )
濠川は「ほりかわ」又は「ごうかわ」とも読む。
琵琶湖疏水が鴨川東岸(鴨川運河)を流れ伏見の墨染発電所の入り、ここを過ぎて暗渠から出たあたりが濠川の出発点となっている。
伏見区内を曲がりくねりながら流れ出合橋で高瀬川、宇治川派流と合流し三栖閘門から宇治川へ合流する。
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* 宇 治  川 派 流
宇治川派流は豊臣秀吉の伏見築城の建設資材の運搬用に宇治川の水路を利用し、伏見に水路を通すための運河としてつられたのが起源といわれている。
現在は琵琶湖疏水が伏見で濠川となり、出合橋付近で三栖閘門(みすこうもん)に流れと淀川派流で東に流れるものに分流されている。いずれも宇治川に合流する。
また宇治川派流沿いの酒蔵、宿屋、問屋などへの流通機関の水路としても活用された。

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* 高 瀬 川
京都市内の中心街と伏見宇治川を結ぶのが高瀬川である。角倉了以(すみのくらりょうい)とその息子、素庵(そあん)で開通された運河。京都の繁華街木屋町通りに沿って流れている。伏見の出合橋のところで高瀬川は濠川、伏見派流と合流し伏見港から三栖閘門を経て宇治川へと繋がっている。出合橋に角倉了以の記念碑がある。
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伏見出合橋で合流する高瀬川。
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【 三  栖  閘  門 】
三栖閘門(みすこうもん)は宇治川の水路交通を伏見港に導き利用するためと、伏見中書島周辺の洪水対策として建設されたもの。
宇治川の水位と濠川の水位差を調整して宇治川からの船を水位の高い濠川の伏見港に入れるための施設で大阪と京都を結ぶ重要な役割を持っていた。しかし、現在は流通手段は陸路中心になっているため利用されていない。
その後、三栖閘門は観光船十石舟の中継点の乗船場になり、伏見港は市民の憩いの場として利用されるようになっている。
この辺りの経緯は下記の「土木学会推奨土木遺産」のホームページが詳しい。

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*三栖閘門が国土交通省と京都府の境界になっている
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【 三 栖 洗 堰 (みすあらいぜき)】
三栖洗堰は現在でも活用されている堰である。
出合橋で合流した流れは伏見港公園の前で二つに分流し、西側の流れは三栖閘門の方へ流れ、
東側の流れはこの三栖洗堰のに向かう。ここから琵琶湖疏水(濠川)は宇治川に合流する。
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*伏見港公園で分流した濠川(琵琶湖疏水の流れ)
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*このゲートの開閉で宇治川へと合流されてゆく
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【 ビデオと写真を編集した動画 】


posted by T.Hatayama at 11:57| Comment(1) | 京都
この記事へのコメント
今年もいよいよ折り返しの季節になりましたが〜〜〜♪
またまたWin11になる様ですね。
また、ボケた頭を悩まされるのかと思うと今から頭が痛いです。
尤も、それまで無事に生き延びてればの事でしょうかね?
出る出るってお化けの様に何時の時期になるやらね。
Posted by 泡沫のウタちゃん at 2021年07月02日 21:43
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